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井上小児科医院の歴史

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はじめに

 井上小児科医院は、1907年(明治40年)から福岡県築上群椎田町奈古で町医者をしていた曾祖父井上馨のもとから、1934年(昭和9年)に大分県中津市京町1丁目に祖父井上清香が開院したことに端を発します。

 ついで、1967年(昭和42年)より父義夫が当時大貞にあった国立中津病院小児科の初代部長を辞し、清香との世代交代を行いました。1983年(昭和58年)には、豊田町の大分銀行本店のすぐ近くに新しい医院を建てました。

 そして1994年(平成6年)より私が引き継ぐことになりましたが、駐車場が手狭であったことも考え、1998年(平成10年)10月に、現在の場所に移設しました。今年は2014年ですので、すでに80年間の時が経っています。この小児科単科開業医の外来を連続して見ているのが母清子でありました。父も母もすでに亡くなりましたが、この間外来の状態をメモに残しており、興味深かったので下記に述べてみます。

小児科単科開業医の外来の変遷

 祖父の時代の小児科はまさに感染症との戦いであり、赤痢・疫痢・ジフテリア・百日咳・腸チフス・結核性脳膜炎・麻しんなどが代表的なものでありました。特にジフテリアの場合疑ったら即、抗毒素療法に踏み切らねばならず、近所の薬屋に夜でも走って抗毒素をとりにやらされたことが綴ってありました。

 また、ポリオや膿胸(2才の子からコップ一杯の排膿の記載)の恐ろしさ、低栄養が絡んだ難治性下痢や重症自家中毒症への厳密な食事療法とリンゲルの皮下輸液など、当時の小児科外来は現在の小児科医には想像はできても実感としてはわきにくいものでありました。

 その中で、ジフテリア・ポリオの予防接種の普及とクロマイシン・テラマイシン・ペニシリンなどの抗生物質の登場で当時は大変恐ろしかった病気が劇的に治るようになり、その時の感動と小児医療に従事することの誇りはとても大きなものがあったと書いています。大分県では昭和36年の大流行を機にポリオワクチンの内服がすすみ激減しました。また、ほとんど産婆さんのもとで出産していた時代の新生児メレナの治療も忘れられない一場面であったそうです。それと同時にたとえ亡くなることがあっても、お医者様に診てもらえて死んだのだから有り難いと言われた時代でもありました。

 父の時代は小児医療の体系が整うに連れて細分化が進む時代となりました。感染症の治療においても漫然と抗生物質を投与するのではなく、より的確な抗生物質の選択が必要となり、ウイルス性疾患においても的確な診断名が必要となりました。

 輸液療法も小児医療の中から進歩を遂げていきました。またすでに予防の時代に入っており、乳幼児健診なども大事な業務のひとつとなっていました。さらに、小児のアレルギ-疾患への治療も飛躍的に進んできました。それと同時に小児科専門医の存在が徐々に増え、少しぐらいの肺炎も外来で治療できる時代になっていきました。専門医が増えてくると当然患者数も減少しますが、いわゆる「私の患者」という気持ち(私が責任を持って診ていける患者さんの意)で診療できる、うまのあう人達との外来ができてきました。

私の時代も、中津市で診療を開始して、いつのまにか20年を過ぎてしまい、日々の診療に加え、乳幼児健診・学校医業務・予防接種のスケジュ-ルつくり・不登校などの精神衛生相談・児童相談所や福祉機関との連携などの仕事、子育て支援センター事業などが当たり前の仕事となっています。

 中津市行政の様々な部署と共同して、子育ては大変だけど、中津市に住んで良かったなとお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん達に感じてもらえるように、日々の診療を続けています。

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